量産市販車では日本初となるミッドシップカー「MR2」、今まで保守的や商売上手と呼ばれていたトヨタが作ったということもあり、世間は大いに驚いた。ハチマル世代の思い出の一台がGOOSEの第二段として登場!
三次元CADを駆使し、独特なボディもリアルに再現、さらにコンピュータグラフィックによるハイディフィニションデカールは欧米仕様のウインカーやサイドマーカーも付属しています。貴方の手で思い思いのMR2を再現することが可能です。
<グースシャシーテクニカルデータ>
●ホイルベース … 210mm ●車幅 … 160mm ●全長 … 325mm ●ロードクリアランス … 3mm〜8mm
●重量 … 1050g(ボディ除く) ●駆動方式 … 後輪駆動
※シャーシ組み立て済み
※バッテリー、モーター、RC装置は別売
<トヨタ・MR2(AW11) ボディデータ>
●全長/Length : 365mm ●全幅/Width : 162mm ●ホイルベール/WheelBase : 210mm
●付属品/With : ハイディフィニションデカール、マスキングフィルム、専用電飾ライトカバー
※写真のボディは広告用に塗装されています。実際の製品は未塗装のクリアボディとなります。
※本製品に付属するホイールは標準タイプ白色になります。広告用見本はオプションホイールHSタイプにシルバーの塗装を施したものです。
※本製品にはナンバープレート、電飾LEDライトが付属しません。
※本製品はトヨタ自動車株式会社より正式ライセンスを取得しています。
トヨタ・MR2 初代・AW11型(1984〜1989)
1970年、排ガス規制や二度にわたるオイルショックの影響でスポーティーカーは受難の時代を迎えてしまった。しかし日本の自動車メーカーは電子技術の導入と地道な努力によりこの逆境を乗り越え、80年代には再び高性能を競い合う時代へ突入した。最速を目指すスポーティーカーならば、ミッドシップ・レイアウトが当たり前で、トヨタでも古くから研究もされていたが、すべてモーターショーに参考出品されるだけで終わっていた。省エネや排ガス対策が声高に叫ばれていたこの時代、国産のスポーティーカーの出番はなく、その思いを実現するには大枚をはたいてヨーロッパ製の少数生産のスポーティーカーを選ぶしかなかった。しかし、ターボ車の登場によりスポーティーカー路線に再び火がつき、FF戦略を積極的に推し進める体制をトヨタが整えたことにより、ミッドシップに流用できるパーツが増えたことから、MR2の開発に踏み切れたのだ。
そうして、1983年10月に開催された第25回東京モーターショーに、「トヨタ・SV-3」の名で参考出品され、翌年1984年6月に「MR2」の名で日本初の市販量産ミッドシップとして登場する。足回りやエンジン、ミッションは既存のE80系カローラから流用された。エンジンはSグレードには3A-LU型1500ccエンジン、G・G-Limitedには4A-GELU型1600ccエンジンがそれぞれ搭載された。AE86では縦置きであった4A-GELUがMR2では横向きで搭載され、MR2は4A-GELUを初めて横置きで搭載したモデルでもあった。MR2という名前は「ミッドシップ・ランナバウト・2シーター」の頭文字から取っており、ライト感覚のミッドシップ・スポーツをイメージしている。幅広いユーザーが快適に乗り降りできるように乗降性なども徹底的に研究された。しかしそのために「ミッドシップ・スポーツらしくないと」酷評されたことあり、後のマイナーチェンジではスーパーチャージャー仕様が登場した。
従来の4A-GELUをベースとし、ルーツ型スーパーチャージャーと空冷式インタークーラーを備えた4A-GZE型を搭載、スポーツ性を大幅にアップさせた。レースでの活動は実現されなかったが、ジムカーナなどでは一部に熱烈なファンが生まれていた。
1984年度には日本カーオブザイヤーを受賞している。パーソナルカーでありながら、スリリングなスポーツカー的一面を持つMR2、現代のスポーツカーと比較しても遜色ないところが今でもなお愛され続ける所以かもしれない。